2018/02/08 Category : エンタメニュース 久米宏が明かした「ベストテンの司会を辞めた本当の理由」〈週刊朝日〉 1978年1月に放送が始まった伝説の歌番組「ザ・ベストテン」(TBS系、以下ベストテン)は、“嘘のないランキング”が視聴者の心をわしづかみにし、日本の音楽シーンを変えた。生放送ならではのハプニングや、垣間見える歌手の素顔、司会の黒柳徹子さんと久米宏さんの弾丸トークもまた人気の理由だった。久米宏さんに、40年を経たいまだから明かせるエピソードや思いを聞いた。芸能界デビューしたいすべての人へ【YStar Produce 新人発掘プロジェクト】* * *「『ザ・ベストテン』がなかったら僕はフリーになっていません。そして、TBSの局アナだったら、99%『ニュースステーション』もありませんでした」 伝説の音楽番組ベストテンの司会を78年から約7年間務めた、久米宏さん(73)。その軽快な話術は、今もなお健在だ。――ベストテンの前番組「トップスターショー・歌ある限り」の司会を二谷英明さんと務められていましたが、終わる頃には、もう音楽番組はやらないつもりだったそうですね。僕は、歌番組に司会はなくてもいいものだと思っていたんです。「ミュージック・フェア」(フジテレビ系)のような、歌を中心に聴かせる番組が本道かなと。おもしろいインタビューができればいいんですけど、歌手の方って、プロダクションの縛りとかがあって、なかなか本当のことは仰らない。新しい話を聞くのは、ほとんど不可能に近かった。だから、もう音楽番組はいいかなと思っていたんです。――ベストテンの司会のオファーが届いたのは?77年の11月頃に、プロデューサーから「この後は生放送の歌番組をやる。黒柳さんが、久米さんと一緒にやりたいとおっしゃってるけど、どうだろうか?」と。そこで「ちょっと考えさせてください」と言って、1週間後に、YESの返事をしたんです。――辞退という選択肢もあったということですか?歌番組はもうやらないと決めていたところへきた話ですから。ただ、僕は基本的に生指向なので、生放送だということには、相当、魅力を感じました。あと、黒柳さんとは永六輔さんのラジオ番組が縁で親しくさせていただいていて。ずいぶん前から、いつか黒柳さんと番組をやることになるだろうなとは思っていたんです。だから、大袈裟に言えば、ついにその時が来た、という感じもありました。――久米さんと黒柳さんの丁々発止のマシンガントークのあと、歌が始まるという印象が強く残っています。そういう形は徐々にできていったものです。10位から発表していくんですが、8位のあたりまで、先のことを心配していないから、トークで遊んじゃうんですよ。5位を過ぎたあたりで時間がないことに気づく。至上命令として、1位は絶対に放送しなくてはいけない。上位になればなるほど歌のセットにも凝るし、インタビューの仕掛けにも、ある程度時間が必要になってくる。その時間の余裕を、5位くらいで使い果たしているんです。人間って学ばないもので、何回やってもそうなるんです(笑)。1位の歌まで18秒しかないとか、最後の記念撮影に最低5秒は必要だとかになって、黒柳さんを叩いたり抑え込んだりして黙らせる(笑)。時間との戦いで、どんどん早口になっていきました。――本番前に、話す内容などは考えていましたか?事前に決まっていることはいくつかありました。例えば、前週から急上昇して2位にランクインした場合とか、落ちて3位になったときとか、どうしてもしなければいけない話があるし、歌手の誕生日だとか、絶対外せない事案もあるわけです。だけど、新幹線の移動中に歌うといったハプニング的な中継もあれば、面白いシーンは引き延ばしたくもなる。街角に信じられないくらいの群衆が集まっていたら、この映像を少しでも長く見てもらいたいって気持ちが生まれる。だから、後のことは考えないようにしよう、というのが2人にはありました。そういうサービス精神は忘れないようにしようと心がけていました。――久米さんがいちばん困ったことは?僕と黒柳さんで歌手のバックダンサーを務めたことですね。ちゃんとした振付師がいて、2週間ほど練習したんです。僕は、「番組を進行するだけで精いっぱいだから、踊りは勘弁してくれ」って言ったんですけど、演出家がどうしてもって。あれは本当に大変だった。本番では肝心なところで、黒柳さんがミスって大笑いになったんです。ミスするなら僕だと思っていたのに。僕も黒柳さんも演出家も、忘れたい出来事だと思いますね(笑)。――司会者として失敗した、という出来事は?失敗は毎回必ずあるんです。言い間違いとか、段取りを飛ばすとか。サーカスの綱渡りのような生番組ですから。でも、僕も黒柳さんも失敗を生かすのがうまくて、観ている人にはわからなかったんじゃないかな。あたかもわざとやったかのように見せようと、失敗した瞬間に考えていました。――司会を務めていてよかったと思う瞬間というのはありましたか?毎回思っていました。反射神経の実験みたいなものでしたから。放送が終わると、100m走が終わったあとのようで、タキシードを脱ぐと脇の下がびっしょりになって、ズボンの中に入っているシャツも汗で濡れちゃっているような状態だったんです。そういう異常な緊張から解放される気持ちのよさ、ってなかなかありませんから。――歌を楽しむ余裕というか、感動はありましたか?まったくないです。歌の間は、打ち合わせをしていましたから。とくに上位になると時間もないので、大声で怒鳴りあっていました。大音量の演奏が流れているから、声も聞こえにくくて。番組自体は、毎週土曜日にVTRをもらって、おもしろい番組だなって他人事のように観ていました(笑)。――山口百恵さんが久米さんの隣にいらっしゃるときは、童心に返られたようにはしゃぐ姿が見られました。そうですね。百恵ちゃんに関しては、自信があったんです。僕はラジオで音楽番組を持っていたので、イチオシだって延々と紹介していたら、少しずつレコードが売れるようになってきて。僕が頑張ったんだ、っていう自負を持っていた。だから、新鮮な反応を引き出すためなら、百恵ちゃんのお尻くらい触ってもいいだろうと(笑)。――あれは衝撃的な場面でした(笑)。当時は、ファンから田原俊彦さんと松田聖子さんを並べないでほしいなどの要望もあったそうですが、出演者に気を使うことはありましたか?全然、気を使っていないですね(笑)。ベストテンには出演者からの二大要望というのがあって、ひとつは、歌詞をテロップで流さないでほしい、というもの。歌詞を間違えられないから。もうひとつは、インタビューを歌ったあとにしてほしい、というもの。でも番組としては、歌う前の緊張の最中にあるインタビューのほうがおもしろい。アーティストには負荷がかかるし、とくに初登場の人はかわいそうだなとは思ったけど、見ている人はそれがおもしろいだろうと。また、ほかの歌番組では絶対答えないような言葉を引き出したいと、黒柳さんといつも考えていました。――ほかにない発言を引き出すというのは、プロダクションからすると困ることもあったかと思います。苦情はありませんでしたか?なかったです。やっぱり、番組の視聴率がよかったから。例えば、松田聖子さんが泣いちゃったことがあって、黒柳さんが「泣いていましたね」って言ったんです。でも僕は「いや、涙は出ていなかったような気がする」と言った。それで、「嘘泣き」という言葉が一気に広がってしまったんです。これ、ふつうは、プロダクションからクレームがつきますよ。でも僕はちゃんとモニターでも肉眼でも見ていましたし、テレビを観ている人も僕の発言が事実だとわかるでしょうから、言っても許されるかなと。ただね、僕は涙は出ていない、って言っただけで、嘘泣きだなんて言葉は使ってないんです。世間が言いだしただけで。でも、この「嘘泣き」って、だんだん、聖子ちゃんはプロだっていう、彼女を称賛する言葉になっていったんです。それは長い目で見たら、マイナスじゃなかったな、って。ちょっと言い訳がましいんですけど(笑)。――ご自身のこと、口が悪いな、と思うことは?それはないですね。いつも、みんなが言わないことを言おうと思っているだけですから。ニュース番組でも、僕の信条はさておき、誰も言ってない意見を言ってみようというのがモットーだったんです。例えば、共産党が言わないようなこと、赤尾敏サンでさえも言わないようなことを言って、(視聴者に)そういう考え方があるのか、と感じてもらうような意見を言うというのが、僕の考え方なんです。――自分の信条が真逆だったとしても、必要な質問をする、ということですか?今までに聞かれたことのない質問だったら、聞いてみようと思います。僕個人の意見も言いますけど、優先するのは、聞いたことのない話、聞いたことのない意見。それが最大の優先項目なんです。ほかの歌番組とは違うんだ、ほかのニュース番組とは違うんだ、っていうのを見せたかった。視聴率を上げようってことじゃないんですよ。数字がよかったのは結果論です。――ベストテンの司会を降板された理由を、後日「報道番組をやるのが夢だった」とお話されていましたが、その決断に至るまで、悩まれたのでは?フリーの司会者がベストテンのような高視聴率番組を降りるのは非常識このうえない。黒柳さんを相手にベストテンの司会ができるというのは、ノーギャラでもみんながやりたい仕事なんですから。それを辞めるっていうのは、自分で考えてもあり得ない話ですよ。――ご自身で考えてもおかしいと思うのに決断を?「ニュースステーション」は、放送時間の関係でベストテンを辞めないとできなかったんです。あれは電通、テレビ朝日、僕が所属している事務所がタッグを組んだ報道番組でした。事務所の社長は、事務所の存亡を賭けている。テレビ朝日は、月曜から金曜までの番組を終わらせたわけですから、失敗したら相当の人の首が飛ぶ。電通も何人か首を賭けているというのがわかるわけです。みんながあの番組に夢を見ていた。だから、僕も賭けるしかない、と。――73歳のいま、ベストテンを辞めた決断を、どう思われますか?あれしかなかった。決まっていた道だと思いますね。ほかに選びようがなかった。70過ぎまで生きてみるもんですね。そういう思いになったのは、成長したからじゃないですか(笑)。(取材・文/沖田十二)※週刊朝日 2018年2月9日号より加筆引用:久米宏が明かした「ベストテンの司会を辞めた本当の理由」〈週刊朝日〉 PR