- 2026/02/04
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毎年、10月~11月末にかけて、全国の大学で行なわれる「学園祭」。学園紛争で荒れた1960~70年代、学園祭は学校のあり方を問う場であったが、1970年代後半からは様変わりする。メディア評論家の宝泉薫氏はこう解説する。
「始まりはキャンディーズの登場と言えます。1972年のデビュー当時、人気が振るわなかった彼女らでしたが、学園祭のゲストとして招かれた際のライブで人気に火がついたと言われています」
その後、1980年代にアイドル黄金期が到来すると新曲披露の場として学園祭は格好のステージになる。
「それまで新人アイドルがデパートの屋上で新曲をお披露目していたように、学園祭を回ることが定番化しました。当時のアイドルにおいて同世代の男性ファンは最大のターゲット。学園祭巡りはレコードの売り上げにも影響を与えたため、斉藤由貴や南野陽子といったCMやドラマで人気があったタレントも積極的に行なっていました」(宝泉氏)
アイドル文化に詳しいライターの尾谷幸憲氏は「呼ばれるタレントは時代ごとに様変わりしていった」と話す。
「当初はアイドル歌手で盛り上がっていましたが、1980年代半ばは山下久美子や白井貴子のようなロック系女性ヴォーカリストが呼ばれるようになった。とにかく騒ぎたい、叫びたい大学生たちの欲求に応えました。
1980年代終盤から1990年代にかけては、杉本彩やSHIHOのようなセクシー路線が人気を博すようになりました。いずれの時代も、アイドルは今のように簡単に会いに行ける存在ではなかったため、自分が通う大学に芸能人がいるというギャップが学生たちに受けたんです」
しかしSNSが普及し、タレントとの距離が近づいた昨今は、かつてのように“女王”と呼ばれる存在はいなくなった。
「ステージを数分で盛り上げられるお笑い芸人が台頭しました。また2014年にAV女優の紗倉まなが東大で恋愛論を語ったように、各大学で独自に旬な人を呼ぶのが最近の潮流です」(尾谷氏)
あらゆるモノが多様化した現代では、“学園祭の女王”は君臨できないようだ。
10月24日、膵臓がんにより88歳で亡くなった国民的女優・八千草薫は、宝塚歌劇団の娘役時代から、年代に合わせて役柄を変化させてきた。唯一、変わらないのは「気品あふれる存在感」であった。
女性のためのプロテイン【Cafe de PROTEIN】追悼報道でも代表作として語られることが多かったのは、初めて不貞妻を演じた山田太一脚本の「岸辺のアルバム」(77年、TBS系)だが、その2年前に衝撃の事件が起きていた。山口百恵と三浦友和のゴールデンコンビの第1作「赤い疑惑」(75年、TBS系)でのことだ。
百恵は不慮の放射線事故にあい、白血病となって短い生涯を終える役。それを支える恋人(実は異母兄妹)が友和で、百恵の両親が宇津井健と八千草薫となっていた。ところが、八千草は6話を終えたところで異例の緊急降板。その理由を、友和の母親役で出演していた原知佐子がのちに明かしている。
「当時の百恵ちゃんのスケジュールが分刻みで、それに合わせて深夜や早朝のスタートということも多かったの」
さらに、現在のマルチアングル(同じシーンを別角度からも撮る手法)では考えられないが、百恵に向かって宇津井健が語りかける場面などでは、カメラは百恵の背中側からに固定。後ろ姿の百恵は体格が似た女性が“影武者”で演じ、百恵の顔のアップだけ別撮りしていたという。
八千草はこうした撮影手法に耐えきれず、降板を申し出た。翌76年の「赤い運命」では、黒澤明作品でも知られる名優・志村喬が同じように途中降板している。百恵自身には罪はないが、改めて八千草薫の「女優としての矜持」を思い起こさせる。
(石田伸也)