2018/02/10 Category : エンタメニュース 「あさイチ」新司会は華丸大吉 有働アナ&イノッチ後任、近江アナと3人で V6の井ノ原快彦(41)とNHKの有働由美子アナ(48)が3月末で降板する同局朝の看板番組「あさイチ」(月~金曜前8・15)の新司会にお笑いコンビの博多華丸(47)・大吉(46)が起用されることが9日、分かった。近江友里恵アナ(29)とともに3人で番組を取り仕切ることになる。 同局関係者は「2人とも“引き受けるからには楽しい番組にしたい”と張り切ってくれているようです」と明かす。1月半ばごろから後任探しを始め、最近になって2人の起用が正式決定したという。関係者は「2人の穏やかで温かみのある笑いと人柄は、番組のターゲットであるアラフォーの女性からも支持されている。国民的な“朝の顔”になった井ノ原さんと有働アナの後任はプレッシャーも大きいが、博多華丸・大吉の2人ならバトンを引き継げるはず」と起用理由を説明した。 博多華丸・大吉は福岡県出身のお笑いコンビ。正統派の掛け合い漫才で脚光を浴び、バラエティー番組でも人気を獲得。結成25年を超えても変わらないコンビ仲の良さや、他人を攻撃しないネタが幅広い層から支持され、「好きなお笑い芸人ランキング」の上位常連になっている。 「あさイチ」は4月以降も継続。有働アナの降板は元日付本紙、井ノ原の降板は今月3日付のスポニチ本紙報道で明らかになっていた。 ▼あさイチ 10年3月29日にスタート。当初から井ノ原と有働アナが司会を担当。「セックスレス」や「不妊」「子宮」など、NHKらしからぬ大胆なテーマを取り上げ話題になった。連続テレビ小説の感想を述べる「朝ドラ受け」など司会コンビのやりとりも好評。「朝の情報番組戦争」と言われる激戦区で視聴率1位を快走している。引用:「あさイチ」新司会は華丸大吉 有働アナ&イノッチ後任、近江アナと3人で PR
2018/02/09 Category : エンタメニュース <河相我聞>人気ラーメン店「我聞」閉店理由 「儲かりすぎて事務所ともめた」 俳優の河相我聞さんが8日放送の「ダウンタウンDX」(読売テレビ・日本テレビ系)に出演。河相さんは「2005年に勘で味を決めたラーメンが大ヒット。2年後に閉店」と説明しながら、「ノリでラーメン屋を始めたんですよ。えび味噌とんこつっていう味を出したら、1日に600人ぐらい来るほど当たった。5店舗まで増えました」と語る。芸能界デビューしたいすべての人へ【YStar Produce 新人発掘プロジェクト】 さらに、「ダウンタウン」の松本人志さんから「閉店した理由は?」と聞かれると、河相さんは「言っていいのかな。儲かりすぎて所属事務所ともめました」と明かす。 この日の「ダウンタウンDX」には、泉ピン子さん、陣内孝則さん、デーモン閣下、勝俣州和さん、藤田紀子さん、畠山愛理さん、岡崎体育さん、えなこさん、お笑いトリオ「安田大サーカス」も出演する。午後10時から放送。引用:<河相我聞>人気ラーメン店「我聞」閉店理由 「儲かりすぎて事務所ともめた」
2018/02/08 Category : エンタメニュース 久米宏が明かした「ベストテンの司会を辞めた本当の理由」〈週刊朝日〉 1978年1月に放送が始まった伝説の歌番組「ザ・ベストテン」(TBS系、以下ベストテン)は、“嘘のないランキング”が視聴者の心をわしづかみにし、日本の音楽シーンを変えた。生放送ならではのハプニングや、垣間見える歌手の素顔、司会の黒柳徹子さんと久米宏さんの弾丸トークもまた人気の理由だった。久米宏さんに、40年を経たいまだから明かせるエピソードや思いを聞いた。芸能界デビューしたいすべての人へ【YStar Produce 新人発掘プロジェクト】* * *「『ザ・ベストテン』がなかったら僕はフリーになっていません。そして、TBSの局アナだったら、99%『ニュースステーション』もありませんでした」 伝説の音楽番組ベストテンの司会を78年から約7年間務めた、久米宏さん(73)。その軽快な話術は、今もなお健在だ。――ベストテンの前番組「トップスターショー・歌ある限り」の司会を二谷英明さんと務められていましたが、終わる頃には、もう音楽番組はやらないつもりだったそうですね。僕は、歌番組に司会はなくてもいいものだと思っていたんです。「ミュージック・フェア」(フジテレビ系)のような、歌を中心に聴かせる番組が本道かなと。おもしろいインタビューができればいいんですけど、歌手の方って、プロダクションの縛りとかがあって、なかなか本当のことは仰らない。新しい話を聞くのは、ほとんど不可能に近かった。だから、もう音楽番組はいいかなと思っていたんです。――ベストテンの司会のオファーが届いたのは?77年の11月頃に、プロデューサーから「この後は生放送の歌番組をやる。黒柳さんが、久米さんと一緒にやりたいとおっしゃってるけど、どうだろうか?」と。そこで「ちょっと考えさせてください」と言って、1週間後に、YESの返事をしたんです。――辞退という選択肢もあったということですか?歌番組はもうやらないと決めていたところへきた話ですから。ただ、僕は基本的に生指向なので、生放送だということには、相当、魅力を感じました。あと、黒柳さんとは永六輔さんのラジオ番組が縁で親しくさせていただいていて。ずいぶん前から、いつか黒柳さんと番組をやることになるだろうなとは思っていたんです。だから、大袈裟に言えば、ついにその時が来た、という感じもありました。――久米さんと黒柳さんの丁々発止のマシンガントークのあと、歌が始まるという印象が強く残っています。そういう形は徐々にできていったものです。10位から発表していくんですが、8位のあたりまで、先のことを心配していないから、トークで遊んじゃうんですよ。5位を過ぎたあたりで時間がないことに気づく。至上命令として、1位は絶対に放送しなくてはいけない。上位になればなるほど歌のセットにも凝るし、インタビューの仕掛けにも、ある程度時間が必要になってくる。その時間の余裕を、5位くらいで使い果たしているんです。人間って学ばないもので、何回やってもそうなるんです(笑)。1位の歌まで18秒しかないとか、最後の記念撮影に最低5秒は必要だとかになって、黒柳さんを叩いたり抑え込んだりして黙らせる(笑)。時間との戦いで、どんどん早口になっていきました。――本番前に、話す内容などは考えていましたか?事前に決まっていることはいくつかありました。例えば、前週から急上昇して2位にランクインした場合とか、落ちて3位になったときとか、どうしてもしなければいけない話があるし、歌手の誕生日だとか、絶対外せない事案もあるわけです。だけど、新幹線の移動中に歌うといったハプニング的な中継もあれば、面白いシーンは引き延ばしたくもなる。街角に信じられないくらいの群衆が集まっていたら、この映像を少しでも長く見てもらいたいって気持ちが生まれる。だから、後のことは考えないようにしよう、というのが2人にはありました。そういうサービス精神は忘れないようにしようと心がけていました。――久米さんがいちばん困ったことは?僕と黒柳さんで歌手のバックダンサーを務めたことですね。ちゃんとした振付師がいて、2週間ほど練習したんです。僕は、「番組を進行するだけで精いっぱいだから、踊りは勘弁してくれ」って言ったんですけど、演出家がどうしてもって。あれは本当に大変だった。本番では肝心なところで、黒柳さんがミスって大笑いになったんです。ミスするなら僕だと思っていたのに。僕も黒柳さんも演出家も、忘れたい出来事だと思いますね(笑)。――司会者として失敗した、という出来事は?失敗は毎回必ずあるんです。言い間違いとか、段取りを飛ばすとか。サーカスの綱渡りのような生番組ですから。でも、僕も黒柳さんも失敗を生かすのがうまくて、観ている人にはわからなかったんじゃないかな。あたかもわざとやったかのように見せようと、失敗した瞬間に考えていました。――司会を務めていてよかったと思う瞬間というのはありましたか?毎回思っていました。反射神経の実験みたいなものでしたから。放送が終わると、100m走が終わったあとのようで、タキシードを脱ぐと脇の下がびっしょりになって、ズボンの中に入っているシャツも汗で濡れちゃっているような状態だったんです。そういう異常な緊張から解放される気持ちのよさ、ってなかなかありませんから。――歌を楽しむ余裕というか、感動はありましたか?まったくないです。歌の間は、打ち合わせをしていましたから。とくに上位になると時間もないので、大声で怒鳴りあっていました。大音量の演奏が流れているから、声も聞こえにくくて。番組自体は、毎週土曜日にVTRをもらって、おもしろい番組だなって他人事のように観ていました(笑)。――山口百恵さんが久米さんの隣にいらっしゃるときは、童心に返られたようにはしゃぐ姿が見られました。そうですね。百恵ちゃんに関しては、自信があったんです。僕はラジオで音楽番組を持っていたので、イチオシだって延々と紹介していたら、少しずつレコードが売れるようになってきて。僕が頑張ったんだ、っていう自負を持っていた。だから、新鮮な反応を引き出すためなら、百恵ちゃんのお尻くらい触ってもいいだろうと(笑)。――あれは衝撃的な場面でした(笑)。当時は、ファンから田原俊彦さんと松田聖子さんを並べないでほしいなどの要望もあったそうですが、出演者に気を使うことはありましたか?全然、気を使っていないですね(笑)。ベストテンには出演者からの二大要望というのがあって、ひとつは、歌詞をテロップで流さないでほしい、というもの。歌詞を間違えられないから。もうひとつは、インタビューを歌ったあとにしてほしい、というもの。でも番組としては、歌う前の緊張の最中にあるインタビューのほうがおもしろい。アーティストには負荷がかかるし、とくに初登場の人はかわいそうだなとは思ったけど、見ている人はそれがおもしろいだろうと。また、ほかの歌番組では絶対答えないような言葉を引き出したいと、黒柳さんといつも考えていました。――ほかにない発言を引き出すというのは、プロダクションからすると困ることもあったかと思います。苦情はありませんでしたか?なかったです。やっぱり、番組の視聴率がよかったから。例えば、松田聖子さんが泣いちゃったことがあって、黒柳さんが「泣いていましたね」って言ったんです。でも僕は「いや、涙は出ていなかったような気がする」と言った。それで、「嘘泣き」という言葉が一気に広がってしまったんです。これ、ふつうは、プロダクションからクレームがつきますよ。でも僕はちゃんとモニターでも肉眼でも見ていましたし、テレビを観ている人も僕の発言が事実だとわかるでしょうから、言っても許されるかなと。ただね、僕は涙は出ていない、って言っただけで、嘘泣きだなんて言葉は使ってないんです。世間が言いだしただけで。でも、この「嘘泣き」って、だんだん、聖子ちゃんはプロだっていう、彼女を称賛する言葉になっていったんです。それは長い目で見たら、マイナスじゃなかったな、って。ちょっと言い訳がましいんですけど(笑)。――ご自身のこと、口が悪いな、と思うことは?それはないですね。いつも、みんなが言わないことを言おうと思っているだけですから。ニュース番組でも、僕の信条はさておき、誰も言ってない意見を言ってみようというのがモットーだったんです。例えば、共産党が言わないようなこと、赤尾敏サンでさえも言わないようなことを言って、(視聴者に)そういう考え方があるのか、と感じてもらうような意見を言うというのが、僕の考え方なんです。――自分の信条が真逆だったとしても、必要な質問をする、ということですか?今までに聞かれたことのない質問だったら、聞いてみようと思います。僕個人の意見も言いますけど、優先するのは、聞いたことのない話、聞いたことのない意見。それが最大の優先項目なんです。ほかの歌番組とは違うんだ、ほかのニュース番組とは違うんだ、っていうのを見せたかった。視聴率を上げようってことじゃないんですよ。数字がよかったのは結果論です。――ベストテンの司会を降板された理由を、後日「報道番組をやるのが夢だった」とお話されていましたが、その決断に至るまで、悩まれたのでは?フリーの司会者がベストテンのような高視聴率番組を降りるのは非常識このうえない。黒柳さんを相手にベストテンの司会ができるというのは、ノーギャラでもみんながやりたい仕事なんですから。それを辞めるっていうのは、自分で考えてもあり得ない話ですよ。――ご自身で考えてもおかしいと思うのに決断を?「ニュースステーション」は、放送時間の関係でベストテンを辞めないとできなかったんです。あれは電通、テレビ朝日、僕が所属している事務所がタッグを組んだ報道番組でした。事務所の社長は、事務所の存亡を賭けている。テレビ朝日は、月曜から金曜までの番組を終わらせたわけですから、失敗したら相当の人の首が飛ぶ。電通も何人か首を賭けているというのがわかるわけです。みんながあの番組に夢を見ていた。だから、僕も賭けるしかない、と。――73歳のいま、ベストテンを辞めた決断を、どう思われますか?あれしかなかった。決まっていた道だと思いますね。ほかに選びようがなかった。70過ぎまで生きてみるもんですね。そういう思いになったのは、成長したからじゃないですか(笑)。(取材・文/沖田十二)※週刊朝日 2018年2月9日号より加筆引用:久米宏が明かした「ベストテンの司会を辞めた本当の理由」〈週刊朝日〉
2018/02/07 Category : エンタメニュース イノッチ&有働アナ 笑顔で「あさイチ」降板を生報告 8年走り抜け「友達みたいな感覚だった」 V6の井ノ原快彦(41)とNHKの有働由美子アナウンサー(48)が7日、司会を務める同局朝の看板番組「あさイチ」(月~金曜前8・15)に生出演。3月末で司会を降板すると6日に発表してから、初めての出演で番組卒業を生報告した。 番組冒頭で2人は同局の解説委員・柳澤秀夫氏(64)と並んで登場。有働アナが「今日はお知らせを…」と切り出し「8年前から3人で務めてきましたが、3月いっぱいでこの3人でお伝えする『あさイチ』は終わりになります」と報告。井ノ原は「僕から言わせてもらうのは失礼な話ですが、友達みたいな感覚だった。誰か一人やめるなら皆でやめたほうがいいとずっと思っていた」と8年間を振り返り、「あさイチという番組の精神は続いてやっていくわけですから、この先も続くように皆で一緒に協力してやっていきたい」と笑顔で3月末までの番組進行へ意気込んだ。 後任について有働アナは「まだ正式に発表されていないので」とし、井ノ原は「(一部報道は)正式じゃないの?まだ分からないんですね」と驚きの表情。柳澤氏が「NHKですから」と補足していた。 井ノ原は6日、同局を通じた書面で「有働さんをはじめとした『あさイチ』の仲間たち、そして愛ある視聴者の皆さまに、ここまで育てていただきました。心から感謝しております」と思いを伝えた。そして「この先『あさイチ』がさらにパワーアップしていくことを願いつつ、視聴者の皆さまと共に見守っていきたい」とした。有働アナは「本当に本当に毎日支えてくださって、ありがとうございます」と感謝。「私の大好きな『あさイチ』を来年度に最高の形でバトンタッチできるよう、イノッチと共に最後まで全力で向き合っていきます」と決意を記していた。 2人は2010年春の番組開始時から司会を担当。連続テレビ小説の感想を述べる「朝ドラ受け」など司会コンビのやりとりが好評で、同時間帯の視聴率1位を快走。15年の紅白歌合戦で井ノ原が白組司会、有働アナが総合司会を務めた。国民的な名コンビとなっていただけに井ノ原は同時の「卒業」に強くこだわったようだ。引用:イノッチ&有働アナ 笑顔で「あさイチ」降板を生報告 8年走り抜け「友達みたいな感覚だった」
2018/02/06 Category : エンタメニュース 始まりはコント55号…「めちゃイケ」終了で“土8”笑いの50年にピリオド 土8が終わる。関西人にとっては、お昼の吉本新喜劇と同じく、土曜日の当たり前の風景がなくなってしまう感がある。3月末でのフジテレビ「めちゃ×2イケてるッ!」終了をもって、断続的にではあるが50年間続いた“笑いの歴史”にピリオドが打たれるのはやはり寂しい。芸能界デビューしたいすべての人へ【YStar Produce 新人発掘プロジェクト】 ヒモ解くと1968年のフジテレビ「コント55号の世界は笑う」が始まりだ。69年からはTBSでドリフターズの「8時だョ!全員集合」がスタート。作り込んだコントと歌謡ショーという新しいスタイルで一世を風靡(ふうび)した。 空前の漫才ブームだった81年にはフジテレビの逆襲が始まる。人気絶頂だった若手のツービートや明石家さんま、島田紳助、西川のりおらを起用した「オレたちひょうきん族」が誕生。アドリブ重視のパロディースタイルは現在のバラエティーの礎を築いたといえる。 過去の取材で聞いた話だが、コントでオバQを演じた西川のりおは追い込まれすぎて、燃やされかけたことがあったという。のりおが仏壇に隠れるコントで大量の線香に着火。たき火レベルのとんでもない量の煙と火でいぶされた。「あんなんバルサンでっせ。息もできへんし、ほんまにギリギリ。メチャクチャですわ」。そんなエピソードを語りながら、とことんまでやる「ひょうきん族」だからこそ人気番組に化けたと分析していた。 ひょうきん族が一時代を作り、90年からは「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」が始まった。これも作り込まれたコントが印象的だった。終了後は3年間の空白を経て96年から「めちゃイケ」がスタートしている。 50年の歴史で特筆すべきは「全員集合」が16年、「ひょうきん族」も8年で終了した中、「めちゃイケ」が21年間も続いたことだ。ナインティナインらメンバーのポテンシャルはもちろんのこと、岡村隆史の「オファーシリーズ」などドキュメンタリー企画もヒットした要因の一つに上げられる。多彩なネタでマンネリとの闘いを克服し、お笑いだけでなく、ガチンコの展開と感動という要素もあったからこそ、ここまで続けることができたのだろう。 4月からは「世界!極タウンに住んでみる」がスタートする。これはこれで注目しているが、土曜日8時に、いつかお笑いが戻ってくることを期待してやまない。小学生の時にワクワクした、あの感じ。今の子どもたちが味わえないと何だかそれも寂しい。(記者コラム)引用:始まりはコント55号…「めちゃイケ」終了で“土8”笑いの50年にピリオド